私の居場所

「いってらっしゃいませ」

 

運転手に見送られながらホテルのロビーに入ると、支配人が早々に挨拶に来た。

 

 

 

 

 

「奥さま…本日はありがとうございます」

 

と深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

私はそこから離れ、中庭の見える窓際に近付いた。

 

そこからは見事な日本庭園が一望出来た。

 

大きな池の回りに植えられた桜の木が満開を過ぎ、風が吹く度に吹雪の様に舞い上がる花びらが幻想的だった。

 

 

 

 

 

うっとりと見つめていると…

 

その先に真っ赤なスーツの女の人と黒いスーツの男の人が二人、まるで絵画の様に佇んでいた。

 

そっと寄り添い、男が女の腰に手を回し歩き出す。

 

そしてふと立ち止まりキスをした。

 

 

 

 

 

「わっ!!」

 

目の前で繰り広げられるラブシーンに思わず背を向けて頬に手を当てた。

 

 

 

 

 

 

 

本当は…

 

私にも彼がいた。

 

でもこの話が正式になったときに彼とはキッパリ別れた。

 

一晩泣き明かすことで《決心》なんて格好いいものは手に入らなかったけど、代わりに《諦め》というモノを手に入れた。

 

嫌いで別れた訳じゃない。

 

私の一方的な都合だと言うのに、彼は顔を歪めながら

 

「茉愛沙の足を引っ張る気はないよ」

 

と言ってくれた。

 

私の立場はよくよく分かってくれてる人だったから。

 

 

 

 

 

そんな彼の事を思い出した…

 

私の通っていた女学院には一般家庭の人から社長令嬢、芸能人の子供、政治家など、多種多様の生徒がいた。

 

私の幼馴染みで大親友は隣の家に住む植木職人の娘の角川 椿〈かどかわつばき〉。

 

そして彼女の兄である青葉〈あおば〉が私の彼だった。

 

名前からもおじさんの拘〈こだわ〉りが見える。

 

おじさんの溺愛の椿。

 

オレンジに近い茶髪でショートカットがよく似あう、男勝りのサバサバした女の子。

 

そしておじさんの自慢の青葉。

 

こんがりと日焼けした肌は時々おじさんの手伝いをしてるから。

 

幼馴染みで椿と3人はいつも一緒だった。

 

いつの間にか特別な感情を持ちお互いが大切な存在だと認めあったのが高校を卒業する頃。

 

それから2年と少し…

 

青葉は本当に私を大切にしてくれていた。

 

学生時代少しやんちゃしていたみたいだけど、今はフラワーアレンジメントとしてホテルや料亭の玄関などの大きな花器にお花を生ける仕事をしている。

 

それは彼らのお母さんがしていた仕事だった。

 

うちの専用の庭師のおじさんと、うちの家中のお花を全て任せてるおばさん。

 

植木から鉢植え、庭の芝に至るまでうちのお花は全て任せてある。

 

庭の手入れを日常的にしていた角川家が自由に出入り出きるように、青葉の家とは庭を挟んで繋がっていた。

 

 

 

 

 

幼い頃からいつも何か有ると相談に乗ってくれていたのが椿だった。

 

だけど彼女も去年の年末、出来ちゃった婚で今は少し離れたところのマンションで新婚生活を送っていた。

 

おまけにお腹の大きな妊婦に心配をかけるわけにもいかなくて、今回の事は椿にも相談できずにいた。

 

何よりも青葉と別れた事すら言えてないのに結婚するなんてとても言えなくて…。

 

近い内に報告はしなくちゃいけないとは分かってるんだけど…

 

窓に目を戻すと、黒いスーツの男の背を愛しそうに見つめながら見送る女の人が目に入った。

 

 

 

 

…微笑んだ?

 

私に?

 

まさかね。

 

不思議に思っていると後ろから呼ばれた

 

「揃われたようよ」

 

と。

 

 

 

 

 

私はそのままママの元へ戻ると、いつの間に来たのか、パパが先方の親らしき人に挨拶をしているところだった。

 

 

 

 

 

「はじめまして」

 

と、丁寧にお辞儀をした。

 

「こちらこそ」

 

と、返される。

 

この品の良さそうな凛とした女の人が《お義母さま》だろう。

 

そしてこちらの方が《お義父さま》。

 

で?

 

当人は…?

 

 

 

 

 

と視線をロビーの先に移すと、黒のスーツを着た先程の中庭に居た男の人が向こうから歩いてきた。

 

彼女との一時を終えて、今から仕事にでも向かうのだろうか。

 

そんなことを考えながら窓を見ると、そこにはまだあの女の人が居た。

 

さっきから動いていない?

 

あぁ、そうか。

 

あの人の姿が見えるから…

 

見送っているのかも。

 

 

 

 

 

そうして…

 

視線をママ達の方へ戻すと…

 

 

 

 

 

 

 

黒いスーツの男の人はパパと握手をしていた。

 

「…え?」

 

思わず声が出た。

 

 

 

 

 

「この方が零〈れい〉さんよ」

 

そうママに言われ視線を上げるとそこには艶やかな黒髪を後ろに撫で付け、シャープなラインの驚くほど綺麗な顔立ちの男がこちらを見下ろしていた。

 

私と違った真っ黒な瞳。

 

その目は冷たく冷めきった物だった。

 

何故か全身の毛が逆立った。

 

本能で、身の危険を感じる動物の様に。

 

 

 

 

 

静かに息を吐き出し

 

「はじめまして。三条茉愛沙です」

 

そう言って丁寧にお辞儀をした。

 

「桐生 零〈きりゅう れい〉です」

 

男はニコリとも微笑まない。

 

人形の様な表情のまま私を見据える。

 

170pを越えてるはずの私が更に見上げるほど背が高いのには返って引いた。

 

ヒール脱いだらどれだけ差が出るのよ。

 

背が高いのにも程があるでしょ…

 

 

 

 

 

「ここでは何ですから、さぁ、行きましょう」

 

と、パパが先を歩く。

 

フゥ…

 

と、息を吐き出しその後に続いた。

 

 

 

 

 

歩きながらどうしても気になり、振り返った窓にはやはりあの女の人が立っていて…

 

真っ赤なスーツが

 

『私はここに居るわ』

 

と主張しているようだった。

 

 

 

 

 

目を逸らす瞬間…

 

見えてしまった。

 

綺麗な顔が…

 

微笑んでいたのを。

 

 

 

 

 

ふと反対側を歩く零に視線を向けると、後ろを振り返り女の人と視線を交わしていた。
その時、悟った。

 

私は《駒》。

 

必要だけど必要ではない。

 

ただの駒。

 

歩く駒。

 

話す駒。

 

人の形をした…駒。

 

 

 

 

 

私に選択肢は無い。

 

そして私に必要性が有るわけではないのだと。

 

 

 

 

 

スッと視線を落として白いヒールを見詰めながら歩いた。

 

赤い絨毯の上を音も立てずに歩く。

 

絨毯なんだから音はしなくて当然なんだけど…

 

私の耳からは何も聞こえなかった。

 

すぐ側で交わされる、パパとお義父様になる人の会話ですらも。

 

 

 

 

 

何も期待なんてしていなかったはずなのに、傷ついた私の心の癒し方が分からない。

 

 

 

 

 

まだ、何も始まっていないのに…

 

私の居場所は既に無かった。