プロポーズの言葉

案内された個室に入り、真ん中より少し窓際に寄せたテーブルの壁側に、私とママとパパが座る。

 

そして窓側に桐生家の方たち。

 

「今日は無礼講で」

 

と、パパが言うと

 

「よい話になりそうでよかったですね」

 

と、お義父様。

 

 

 

 

 

間もなく、料理が運ばれソムリエによりワインの蓋が開けられた。

 

最初にお義父様のグラスに注がれ、それをくるくる回して香りを嗅ぎ、一口含んで

 

「これはこれは…モンラッシェですか…」

 

と、少し訝しげな顔をした。

 

すると、横に立っていたソムリエに

 

「ラ・ターシュは有りますかな?」

 

と言った。

 

「はい。御座います。お持ちいたしますので暫くお時間をお許し下さい」

 

と、頭を下げて部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

私は内心ドキドキだった。

 

パパはワインの流通も手掛けている。

 

中でも年に2000本しか生産されないロマネ・コンティの内、毎年約100本所有する者としてワイン通の中では知らない者は居ない。

 

それはロマネ・コンティに限らずだ。

 

そのパパが今日の為に選んだのがモンラッシェだったのに、それをいとも簡単に却下した。

 

 

 

 

 

プライドの高い…パパは?

 

ママが横にいてパパの様子が分からない。

 

 

 

 

 

「あははっ!そうこられますか。いや、参った。今日の料理には白かと思いましたが…」

 

と言うパパの言葉を聞きながら桐生のお義父様を見た。

 

ニコニコと穏やかな笑みを浮かべながら

 

「今日の席には…」

 

と眉を上げた。

 

ワインに限らずお酒でも料理でも値段ではない。

 

好みと料理との相性。

 

そして気分。

 

 

 

 

 

お義父さまは今日の日を祝いの席とし、この話を受けたことを表したのだと思った。

 

食事もほぼすんだ頃、ママが

 

「茉愛沙、何かお伺いすることはない?」

 

と促してきた。

 

「…」

 

緊張しているわけではない。

 

私には何も問うことも疑問に思うことすらも必要ない様な気がした。

 

 

 

 

 

白を赤と言われても

 

「はい。それは赤です」

 

と言う立場に居る。

 

そう言いわなければならない立場に。

 

 

 

 

 

「それにしても可愛らしいお嬢様ね。お歳は20歳でしたかしら?」

 

「はい。まだまだ世間知らずで恥ずかしいばかりです」

 

お義母さまとママの会話。

 

 

 

 

 

「そうだわ。零、このホテルを少しお散歩してらっしゃいな。素敵なお庭が有ると聞きましたよ」

 

 

 

 

 

それにはさすがに瞬きの数が増えてしまった。

 

だって…

 

この人がさっき赤いスーツの人と優雅に散歩をしていた姿を見て居なかったのだろうか。

 

 

 

 

 

でも、零は席を立ち

 

「少し歩くか?」

 

と聞いてきた。

 

「…はい」

 

何度も言うけど…

 

緊張は全くしていない。

 

こう言う会席の場もそれなりに場数を踏んできた。

 

だけど、こんなにも…

 

今日ほど自分の存在が無に等しいと感じたことはなかった。

 

 

 

 

 

エレベーターで1階迄降りて、そして先程の中庭に向かう零。

 

そこには既にあの人の姿は無い。

 

 

 

 

 

が…

 

「ここで…待っています」

 

「何?」

 

「どうぞ行ってらして下さい」

 

「…」

 

何も言わない零。

 

視線を上げ零の目を見て

 

「私は構いませんから」

 

と、微笑んだ。

 

 

 

 

 

「アイツなら帰った」

 

と言って、ポケットからタバコを取りだし火を点けた。

 

「…」

 

その言葉に視線を庭に向ける。

 

零は庭への扉に近づき扉に手をかけてこちらを見た。

 

「来いよ。話がある」

 

「…はい」

 

庭に出ると、先ほど赤いスーツの女の人の居た方とは逆の方へ歩き出す零。

 

私もその後を追った。

 

時より強い風が吹き抜けるが、天気もよく日向に居ると気持ちが良い。

 

 

 

 

 

 

「俺の祖父が…」

 

「?」

 

「お前の祖父の知り合いだ」

 

「え?」

 

初めて聞いた。

 

「お前の母方の祖父は日本人だろう?」

 

「はい」

 

「戦友だそうだ」

 

 

 

 

 

「…怪我をした祖父を、祖母が介抱しそのまま恋に落ちたと聞いています」

 

「フン…随分と美化したな思出話だな」

 

「…!」

 

私にとっては憧れの話だったから…思わず息を呑み込んだ。

 

何て言い方…

 

視線を逸らし桜の木に移す。

 

 

 

 

 

「お前とのこの話は祖父が持ってきた物だ」

 

「…」

 

「会長である祖父の命令。親父〈おやじ〉も逆らえない」

 

それはママから聞いている。

 

「それは、お前にも拒否権は無いと言うことだ」

 

「…それは…分かっています」

 

「ほぅ…」

 

少し目を細めて私を見下ろす。

 

目を合わそうとするとかなり目線を上げる必要が有る。

 

数歩離れたこの場所から私は零を見据えた。

 

 

 

 

 

「どういう条件であっても覚悟の上と言うことか」

 

「…はい」

 

「ならばはっきり言おう。俺には女が居る」

 

「…はい」

 

「アイツと別れる気はない」

 

「…はい」

 

「ほぅ…」

 

 

 

 

 

私は目を逸らすことなく顔色を変えることもなく淡々と返事を返した。

 

「アイツを切る気もない」

 

「…はい」

 

「それと、お前には一切興味はない」

 

「…はい」

 

「別にいつ出ていって貰っても構わない」

 

 

 

 

「…それは…結婚したことを前提のお話ですか?」

 

私の言葉に零はほんの少し目を細めた。

 

「…そうじゃないのか?」

 

「いえ。私には選択権は有りませんから」

 

 

 

 

 

零は暫く何も言わずじっと私を見ていた。

 

「お前からは何もないのか?」

 

「…2つだけ」

 

「何だ」

 

「どなたとどんな関わりをされても構いません。外に子供ができても、それを認知されてもどうされても構いません」

 

「…」

 

 

 

 

「…が」

 

 

 

 

桜の木から零に視線を戻し

 

「その子をあなたの籍に入れて、我が子とされるならその時、その時には必ず私を捨ててください」

 

 

 

 

 

「…」

 

「あなたの籍から私を抜き、桐生家から追い出して下さい。それと…」

 

私は桜の木を見上げた。

 

太陽の眩しさに目を細める。

 

「私の事は構いません。ですが、この先三条の名が恥じるようなことになるのは不本意です。

 

私は三条の為に嫁ぐのですから。

 

もし、三条の名を汚すようなお話しでしたらこの話は無かったことにさせていただきます」

 

 

 

 

 

「良いだろう」

 

 

 

 

 

零の言葉はそれだけだった。

 

プロポーズの言葉も無く、これからの生活についても一言も何も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして約2カ月後、私たちは結婚式を迎えることになる。