夫の彼女

歩いて直ぐのところにその店は有り、私たちが着く頃には6時を回っていた。

 

私の支度に時間がかかってしまったから…

 

木のお洒落な扉を零が開けると、一気に店の中が盛り上がる。

 

「漸く主役の登場だ」

 

「きゃあ!桐生さん!本物?!」

 

様々な声が上がる。

 

貸し切りなんだと思うけど…

 

こんな風に浮いた声を出す人が友人に居るのだろうか?

 

少し…以外だ。

 

そう思いながら、零が押さえてくれている扉の中に入った。

 

 

 

 

 

「!」

 

中に入って回りを見渡し目を見開いた。

 

「来てくれてたの?」

 

私の友人として披露宴に来てくれていた子達がごっそりとここに顔を見せていたから。

 

誰が声を掛けたの?

 

私は掛けてない。

 

だって、来て貰うつもりなんて無かったから。

 

「当たり前でしょう?茉愛沙のお祝いに」

 

「そうよ。茉愛沙」

 

声を掛けてくれたのは中等科の時からの級友。

 

「…ありがとう」

 

 

 

 

 

学生時代の私は普通に友達には恵まれていた。

 

上流社会とか関係なく、本当に楽しく過ごしていた。

 

高等科や短大に上がっても。

 

それは変わらなかった。

 

 

 

 

懐かしいあの頃…。

 

誰が声を掛けてくれたか知らないけどとても楽しい一時を過ごした。

 

見たこともない男の人から声を掛けられドギマギしたり、ゲームをしたり、本当に楽しく過ごした。

 

そして時刻も8時半を回った頃、

 

「次、どうする?」

 

と声が上がり始めた。

 

さすがにクタクタの私は本当にもうそろそろ帰りたかった。

 

でも、これも《接客》。

 

私の最初の仕事。

 

投げ出してしまうわけには行かない。

 

回りを気にしながらも級友との時間を過ごした。

 

 

 

 

 

それでも9時を回った頃漸くお開きになり、私の級友は時間も時間だしと皆それぞれにタクシーや、自家用車に乗り込んで帰っていった。

 

男性陣は、細かいグループになってそれぞれの行きつけの店に消えていった。

 

今は残った5、6人の人が零を取り囲んでいる。

 

 

 

 

 

私の関係の人はもう居ないし一気に居場所が無くなった。

 

 

 

 

 

そわそわする私に眼鏡を掛けたインテリ風の男と目が合う。

 

…この人は零の側近の人…

 

式の間も片時も離れず側に居た人。

 

私から視線を外すこと無くその顔に微笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

「?」

 

その微笑みの意味がわからなくてその男から視線を外して零を見る。

 

でも零は私の方は見ない。

 

零は私の事なんて全く気にする風もなく回りの人と親しげに談笑していた。

 

 

 

 

 

私はバックから携帯を出した。

 

時刻は9時半。

 

 

 

 

 

そこへお店の扉が開く。

 

そこから姿を現したのは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女。

 

店に入って最初に零と目があったのだろう。

 

軽く微笑んで片手を上げた。

 

『来たわよ』

 

と聞こえた気がした。

 

その後、じっとその光景を見ていた私と目が合う。

 

 

 

 

 

あの時…眼鏡の人と目が合ったのはこれだ…。

 

『帰れよ。邪魔だ』

 

と言ってたんだ。

 

もしくは

 

『良いのか?早く帰らないと見たくないものを見てしまうぞ?』

 

だったのかも。

 

 

 

 

 

…鈍い私。

 

場の空気が読めないなんて。

 

 

 

 

 

出来るだけ気配を消して私は店を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰る場所は分かってる。

 

式の打ち合わせのときに渡されたマンションのカードキーと地図と、それと一緒に渡されたメモに書かれた部屋の暗証番号。

 

先日、1度だけ荷物の整理に訪れた。

 

零は居なかったけど、すぐに私の部屋として空けてあった部屋は分かったし。

 

何も…

 

カーテン1つ用意されてなかったから。

 

私たちは新居に高層マンションの最上階で暮らすことになっている。

 

ここは多分以前から零が暮らしていた所だと思う。

 

だって忙しい彼が引っ越す間なんて無いはずだから。

 

多分私がほぼ一人で暮らすことになるんだろうな。

 

彼はここへは帰って来ない気がする。

 

部屋はLDKと、後はメインの寝室、サブの寝室、そして零の書斎、そして私の好きに使えば良いと言われた部屋。

 

他に浴室とトイレ、大きな物を入れておけるそれなりの広さの納戸とランドリールームがある。

 

窓は全てはめ殺し。

 

高層マンション特有の強風が吹くから窓は開けられない。

 

だからベランダもない。

 

必然洗濯物はランドリールームで乾燥させるしかない。

 

メインの寝室に大きなウォークインクローゼットが有り、すでにそこには零の物が置かれていた。

 

 

 

 

 

私のものは、私の部屋にもかなり広いクローゼットが有りそこに全て入れた。

 

寝室のクローゼットには何も入れなかった。

 

自室には私が唯一買った家具として白いソファーベッドを1つ置いた。

 

真っ白なそれは唯一私を受け入れてくれてる気がした。

 

この部屋が私の生活の全てに成るんだろう。

 

決して狭くはない。

 

ソファーベッドを置いただけのこの部屋は…

 

寂しさを増長した。
…店を出て直ぐにタクシーを拾いマンション迄帰った。

 

零には声を掛けなかったけど、多分あの側近の人は私が店を出たのに気付いていただろうから。

 

 

 

 

 

エントランスを抜けるとき、コンシェルジュが

 

「お帰りなさいませ」

 

と出迎えてくれた。

 

「…どうも」

 

軽く頭を下げてエレベーターホールへ。

 

右側に2つと左側に3つ並んでいて、中は結構広い。

 

エレベーターを呼ぶ為ボタンを押してしばらくすると左側の1番手前の扉が開いた。

 

乗り込んで、最上階…30階のボタンを押す。

 

 

 

 

 

30階は私達の部屋のみ。

 

家賃は…知らない。

 

賃貸なのか、持ち物なのかも知らない。

 

 

 

 

 

私が知ってるのは、私の今の居場所はここだけ。

 

と言うこと。

 

そして…形だけの零のパートナーだと言うことを忘れてはならないと言うこと。

 

 

 

 

 

弁〈わきま〉えなくてはいけないことも承知している。

 

 

チンッ!

 

軽い音と共に扉が開く。

 

たった1つの扉まで行きカードを挿し、暗証番号を入れる。

 

カチャン…

 

 

 

 

 

扉を開けると自動でつく玄関灯。

 

靴を脱いで下駄箱の下に入れる。

 

とりあえずリビングに入った。

 

入って右側の一段下がった所に置いてある黒いソファー。

 

1つはL字になっていて、足を伸ばして横たわれる。

 

その横には2人掛け位のソファー。

 

シンプルなガラステーブルには大きな灰皿が置いてあった。

 

私が前に来たときも…綺麗だった。

 

使ってないの?

 

それとも誰かが掃除に来てる?

 

もしかして…

 

あの人?

 

ここにもやはり入ってきてるのだろうか。

 

 

 

 

 

でも、後から来たのは私の方。

 

私がここに住むことは知っているのだろうか。

 

幾らなんでもここで鉢合わせだけは避けたい。

 

バックからお財布を取り出し、あのタクシーに零が支払った枚数のお金をテーブルの上に置いた。

 

メモを添えようと思ったけど、そんなことをしなくても分かるだろう。

 

あの人は鋭い人だから。

 

 

 

 

 

まぁ、少なくとも零は今日はあの人と会ってる訳だし、帰ってくることは無いかな。

 

その事に全く心は痛まなかった。

 

 

 

 

 

私はリビングの電気を消して、自分の部屋に入った。

 

 

 

 

 

クローゼットから着替えを取り出しそしてシャワーを浴びる。

 

「生き返る…」

 

本当は湯船に浸かりたいけど…

 

疲れちゃってお湯が溜まるまで待ってられない。

 

浴室を出ると自室に戻り、厚手の大判のショールを取り出す。

 

まだ6月。

 

布団なしと言うのはかなり堪える。

 

当分はこれを被って寝れば大丈夫…。

 

ソファーに座り部屋を見渡す。

 

 

 

 

 

窓。

 

そして壁一面のクローゼット。

 

部屋にあるのは白いこのソファーベットのみ。

 

そして棚がわりに使っている積み上げたトランク。

 

私の持ち物はそれだけ。

 

バスセット、洗面セットは籠に入れてその都度持ち歩く。

 

洗濯物も部屋に持ち帰った。

 

もし…

 

あの女の人がここに来ても気分を害さないように。

 

これから…

 

どんな生活が始まるんだろう。

 

 

 

 

 

疲れきった私はその日、ソファーベッドを倒す事なくそのまま眠り込んだ。

 

 

 

 

 

本当に疲れていたから…

 

人生の一大イベントと言われる結婚式。

 

女の子なら誰もが憧れ、夢見る物だろう。

 

だけど、私はドレスも式場も私は何一つ選んでいない。

 

ドレスは1度だけ打ち合わせで訪れた時に5着、新作のデザイン画のカタログを見ながら店員さんが説明して、お勧めしてくれるものを

 

「じゃあそれで」

 

と、言っただけ。

 

ここのブライダルの専属デザイナーの全て新作。

 

採寸して私のサイズに作り上げてもらった。

 

オーダーメードとは違うけど、私は拘らないし思い入れもないから全然平気。

 

そしてそのドレスは式の後はホテル側に無料で引き取ってもらった。

 

条件は少しリフォームしてからレンタルに落とすこと。

 

桐生家の披露宴に使われたものがそのままどこかの披露宴で使われたんじゃ困る。

 

と言うお義母様の言葉から。

 

 

 

 

 

そのまま実家に置いておくと言うことも出来たけど、それはウエディングドレスだけで良い。

 

第一桐生家とも有ろう者が披露宴で着たドレスを他の機会で着るとは思えない。

 

そんなことは三条家でもきっとしない。

 

ウエディングドレスですら本当は置いておきたいほど執着も愛着も他の利用価値もない。

 

思い出として残しておきたいわけでもないから。

 

後々ここを出たときに、目にしたくないものが増えるだけ。

 

あの、ティアラも…

 

値段がいくら位の物なのか知らないけどそんなことは関係ない。